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2005年08月25日

オヤジの夢 三井善樹

小学校のころから、運動神経はそんなに悪くは無かったが、こと球技だけは苦手だった。草野球も、ある日ヒットエンドランのサインを知らなくて監督に怒られ、それから、いやになってしまった。どちらかというと個人競技主体の空手や体操が好きな少年だった。高校3年間は硬派で通し、学園祭のときなどは竹刀を持って校内を見回ったりもした。そんな高校生活の反動もあって、大学では、当時軟派の最先端を行くテニス部。しかし、コンパが楽しくて入ったようなものだから上達するわけがない。社会人になってからは、型にはまってゴルフ。一時期は高崎に会員権まで取得して熱中もしたが、これも例外なく上達しなかった。
そんな俺がこの年になって、サッカーチームでプレーヤーとしてチャレンジするとは夢にも思っていなかった。正直、まだ熱中まで至っていないが、何とかものにしたいと思っている。子どもは4人全員サッカー経験者。長男は幼稚園から始め小学校2年であきらめ、柔道、空手とやり、中学時代鎖骨を2度折って、いまでは運動をしない大学生。二男は中学2年で地元クラブチームのキーパー。最近、急に背も大きくなり結構活躍している。三男は6年生、一番のテクニシャンでディフェンスの真ん中。長女はチームで一番足が速く、左のディフェンスでは誰にも負けない4年生。
俺が今の仕事をはじめたのは10年前。3人の子ども(長女はまだ生まれていない)を抱えてのリスタートは今思うと無謀なことだった。当然生活していくために必死で仕事を取り、家庭など振り返っていられない状況がしばらく続いた。転機は二男が幼稚園でサッカーを始め小学校に入ると同時に地元の少年団に入団した時だった。始めのうちはせいぜい練習の送り迎えで、子どもの練習が終わるのを待っている間は、毎晩遅い仕事で疲れた体を休めるために車の中で寝ていることが常だった。ところが、あるとき団の親睦会がきっかけで、他の父兄とも親しくなり、そのうち車から出て、子ども達の練習相手やゲームに入ったりするようになった。
そのころから、子ども達の成長を近くで見たいという気持ちが大きくなってきた。「そうだ、急がしい中でも、そして今は嫌いな球技でも、これを趣味に出来れば・・・・」と。この気持ちをよりどころに、審判資格、指導者資格をとり、そしてついに同じ思いの父兄を集め大人のサッカーチーム「オヤジージャ」http://members2.jcom.home.ne.jp/oyazija/を結成した。今年で3年目、団長も次の代に譲って、いまや二十数名の規模になり年間30試合ほどこなす。
われわれ親父達は、子ども達が一番成長する時機が一番忙しい。母親はそれをじっくり見ているのに、親父はその成長に気づきもしないということは悲しいことだ。最近は、新しく入団する子どものお父さんの中に10年前の自分を見つけるとおせっかいを焼いてしまう。そうはいっても俺もいい歳だ。現役でいるのも残りわずかだろう。何れは忙しい親父達でも参加できる少年サッカーチームでも創ろう、なんてひそかな夢を抱いている。

投稿者 soken : 19:26 | コメント (0)

2005年08月08日

ある出版記念パーティ 金井 努

 我々さいたま総研も出版記念パーティを主催したが、この出版記念パーティは全く趣の異なるものであった。形式も立食式ではなく懐石で行った。執筆したのは私の高校以来の友人であり、発起人は私を含め3人の高校時代の同級生である。他は出版でお世話になった方が4名と、音楽好きな親戚の人々である。
執筆者も入れた我々4人は共にクラスシック音楽の愛好家であり、ある意味マニアである。本の題名は「評伝・エレン・グラブランソン」で翻訳本である。
 我々友人4人は高校時代から40年間、クラッシク音楽を通じて親交を深めてきた。分野はベートーベンやモーツアルト、ワーグナー等、ドイツ系の作曲家が中心である。特に、この友人はワーグナーの熱狂的なファン、いわゆるワグネリアンである。ワーグナーと言う作曲家は特異な作曲家であり、ナチスドイツの象徴的な存在であったことは有名である。
 いわゆるクラスシックファンの中で、このワーグナーの音楽を毛嫌いする人も多い。ワーグナーの音楽は、歌劇を拡大した楽劇が作品の中心である。クラスシックのオペラ歌手は、歌唱方法からリリック(叙情的)とドラマティック(劇的)に分かれるが、ワーグナーのキャストはほとんどがドラマチックである。そしてこのドラマティックソプラノの分野で、実は超ドラマティックソプラノと言われる歌手がいる。例えば、トリスタンとイゾルデのイゾルデ役やニーベルンクの指輪のブリュンヒルデ役は、普通のドラマティックソプラノでは歌いこなせない。無理に歌えば歌手生命すら失いかねないからである。
 この超ドラマティックソプラノは、実は北欧歌手の独壇場なのである。キリステン・フラグスタート、アストリッド・ヴァルナイ、そしてビルギット・ニルソンと続く系譜がある。そしてそれ以降、これらの歌手に匹敵する歌手は現れていない。彼が翻訳したエレン・グラブランソンはこれらの北欧歌手のさらに前で元祖とも言うべき存在であり、出身はノルウェーである。録音がほとんど残されていないのだから、ワグネリアンを自称する我々の誰もが知らないのも当然であった。彼がバイロイト音楽祭に行ったときに、書店で見つけた本にその名前が載っていたのである。
 この時に、非常に興味を覚えてファニー・エルスタと言う女性歌手の評伝を入手した。しかしながら、書かれていたのがノルウェー語であり、とても読むことはできない。そこで、翻訳をしてくれる人を探したらしい。しかしながら、ノルウェー語は話せても、本の内容を理解できる人がいるはずもなく、翻訳は無理であったらしい。そこでやむなく自分で翻訳をすることとなったが、結果として10年以上を要することになった。
 まず何年間かノルウェー語の学校に通って勉強し、それから翻訳に取り掛かった。ところが、ノルウェー語のまともな辞書が無いため、やむなくノルウェー語を英語に訳した辞書を用い、さらに英和辞典で日本語に翻訳すると言う苦労を重ねた。当初は自費出版のつもりであった。何せ我々が知らなかった歌手である。一体日本で彼女の名前を知っている人間が何人いるだろう。本格的に出版しても、売れる見込みは無いと思われる。ところが、出版社から是非本格出版をしてみたいとの提案があった。売れないのは判っているが、文化的に貴重な仕事であり、やってみたいとのことであった。実際あまり売れているとは思えないが、多くの音楽書評で取り上げられている。少なくとも、全国の図書館には置いてほしいと思っている。
 思えば我々のつきあいも40年に渡る。仕事は一切関係無く、音楽だけのつきあいだったから続いた気がする。団塊の世代もまもなく還暦を迎え、第2の人生を考える時であるが、彼のような生き方もまたそのひとつであると思う。

投稿者 soken : 14:54 | コメント (0)